はじめに
私が道徳教育に興味を持ったのは、大学3年の頃でした。当時受けていた諸富祥彦先生の道徳の授業がきっかけでした。それは、私が小学校時代、中学校時代に受けてきた道徳の授業とは比べものにならないほど斬新でした。その道徳授業は、まず問題に対して自分で考え、次にグループで考え、そしてクラス全体で出された意見を共有し、そして最後にまた自分で考える、という流れです。この流れの中に取り入れられているのが、構成的グループエンカウンター、ロールプレイング、ディベートなどの手法です。こういった手法のもとに行われた道徳の授業は、いつの間にか始まっていつの間にか終わっている、そういった「あれ?」と思わせる授業でした。また、授業が終わった後に体が温かくなっているのを感じていました。その時から私は「この道徳の授業は少し違う」という思いが沸き、興味を持ち始めました。
最近話題になっている不登校、いじめなどの問題から考えても道徳教育の重要性は今までよりももっと高まるでしょう。もちろん道徳教育は学校全体で行うべきであるし、道徳の時間だけで万事問題がないわけではありません。しかし、一週間に一度、授業を行うことで問題行動を起こす児童・生徒だけでなく、すべての児童・生徒に最低限、道徳について考える時間を保障する義務が学校にはあると私は思います。そして、その一週間に一度の貴重な時間が充実した、成長できる時間である必要があります。私は、そんな道徳の授業を追究しようと思いました。
先に述べた道徳授業の手法(構成的グループエンカウンター、ロールプレイング、ディベート)にはどれも共通性があります。それは、今までの道徳的な価値項目を注入するのではなく、今ある考えを感じ、そして自分の考えの変化、そして変化した後の自分の考えを感じる、そういったプロセス主義に基づいています。これからの道徳授業は受身ではいけない、自分で考えていかなければならないと思います。それがこれからの人生を能動的に生きていくために必要だからです。このプロセス主義に基づいた道徳授業はこれからの時代に必要な授業だと思いました。
私は大学の4年間、教育に関することを学び、現在学校で問題になっていることを知りました。この研究が少しでも今の学校教育に還元できれば光栄です。そして、私の学生生活の締めくくりとして道徳教育について研究することができて大変嬉しく思っています。
第1章 序論
「価値の明確化」の理論や理論的背景を諸富(1997)に従って、以下にまとめてみる。
1.「価値の明確化」の歴史
「価値の明確化」はアメリカで1950年代―1960年代にかけて起こった「人間性回復運動」の流れから生まれてきた。(「道徳授業の革新―「価値の明確化」で生きる力を育てる」明治図書)「人間性回復運動」とは教育転換運動の一環であり、今までの教師主導型から子ども主導型へ、つまり学習者中心の教育への転換運動である。そして、その運動から生まれた「価値の明確化」はアメリカの三大アプローチの一つに数えられている。
2.「価値の明確化」の理論
1)「価値の明確化」とは
「価値の明確化」とは、自分が何を大切にしているのか、自分にとっての幸せとは何か、自分に影響を与えた人や出来事は何か、など自己についての意識性の高い人が幸福な人生を送ることができるという前提のもと、自己についての意識性の高まりを支援する手法である。
2)「価値の明確化」で育まれる力
「価値の明確化」では以下の2つの力が育まれる。
@「自分づくり」の力
現代は生きていくことが難しい世の中である。なぜなら生きていく上で多くの選択肢があり戸惑ってしまうからだ。結果的に「なんとなく」人生を送ってしまう可能性もある。こういった多様な価値と情報の中で、自分で選択し、自分で自分の人生を生きていく力が必要である。そのために自分がどういう人間か、何に価値をおいているのかという自覚が必要になってくる。
A自分で問題を発見し解決する力
人は生きていく上で様々な問題にぶつかる。例えば、人間関係、受験、仕事などである。しかし、これらの問題を常にスムーズに解決できるかといえばそうではない。立ち直れないほどの挫折感を味わうこともあるかもしれない。こういった生きていく上での様々な問題を発見し、解決する力が必要になってくる。
3)「価値の明確化」の哲学
@ プロセス主義
「価値の明確化」は、ある人のある考えに至った「プロセス」に注目する。何かを「感じたり、考えたり、話し合ったり、実行したりする」そのプロセスに着眼する。
A 相対主義
一人ひとりの違いや多様性を認めつつ、自分にとって何がよいとか、何が本当のことかを求めていく。
4)「価値の明確化」の流れ
@ 生徒の生活上の問題に注意を向ける。
A 生徒の価値の表現をそのまま受け入れ、そのことを伝え返していく。
B 様々な選択や行為に対してもっとよく考えるように反省的思考を促す。
C 自分は自己指導能力を発揮することができるという自信、自己信頼感を育む。
「価値の明確化」では、以上のような基本原則に即して児童・生徒へ関わっていき、それを通して、思考・感情・行動が統合された全人格としての発達を支援していく。
5)「価値の明確化」方式の道徳授業の流れとそこで身に付く力
「価値の明確化」方式の授業にはA型とB型の2つがある。
(ア)「価値の明確化」方式の授業・A型の場合
@ 導入…資料(写真、絵、統計的資料、読み物資料など)を提示
して、子どもの思考を刺激する。
A 展開(1)…一人でじっくりと「価値のシート」に取り組ませる。子どもの自問自答を刺激して内的な価値のプロセスを促進し、自分や自分の価値について気づきを深めさせる。
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子どもの思考活動を刺激する価値のシートを使って、じっくり自問自答していくことによって自己理解を深める。 |
B 展開(2)…小グループでの「聴きあい」活動をする。意見を闘わせるのではなく、それぞれの考えを認め合い、理解しあうことを目的とする。「質問タイム」を設けて、相互理解を深める。グループでの結論はださずに、それぞれが選択した価値を認めあわせる。
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「話し合う」のではなく、「聴きあう」ことで、自分の意見を言いやすい雰囲気をつくり、さらにお互いに質問するなどして、それぞれの考えとその理由をよく理解できる。 |
C 展開(3)…小グループで出た意見をクラス全体で共有する(シェアリング)。多様な価値に直面させることで思考を刺激し、観点の幅を広げる。
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小グループで出されなかった意見を聞き、質問していくことでさらに思考が活性化する。 |
D 展開(4)…もう一度、一人でじっくりと「価値のシート」に取り組ませる。自分が選んだ価値とそれを選んだ理由を改めて自己吟味させる。
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様々な意見を踏まえたうえで、もう一度自分の中で整理して考えることができる。 |
E 終末…今日の授業で「気づいたこと」「感じたこと」「学んだこと」「新たに知ったこと」「自分がこれからしようと思うこと」などを「ふりかえりシート」に記入させる。何人かに発表させる。
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振り返る時間を持つことが日常生活の定着につながる。 |
特に、授業を行うにあたって注意することは、
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グループでの結論は出さない。
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討論にならないようにする。
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多数決に流されない。
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教師はメリハリをつける。
以上の四点に注意して授業を行なわなければ、授業がメリハリのないものになったり、身につくはずの力も身につかない。
(イ)「価値の明確化」方式の授業・B型の場合
@ 問題の本質をつかみ、それをわかりやすい資料で提示する。子どもに「これは放っておけない問題」という問題意識を育む。
A 子どもの主体的な判断と行為選択を刺激すると共に、その結果を尊重する。
B 他者との意見交換や話し合いの場を設け、それに基づいて自分の考えを再吟味できるようにする。
C 役割演技などにより、自分の選んだ行為とその結果について体験的に理解する機会を設ける。
以上、「価値の明確化」方式の道徳授業とは2つの型を基本に価値のシートを活用したり、構成的グループエンカウンター、ロールプレイングなどの手法を用いて展開していくなかで自分についての意識を高め、または問題に対する解決策を考えることのできる力を育む。
第2章 問題と目的
近年、いじめ、不登校などの問題行動が増えている。学校教育ではそういった問題行動を減らすために、「生きる力」の名のもと、様々な取り組みが行われている。その1つに道徳教育が挙げられるだろう。
これまでも道徳教育はコールバーグ派のモラルジレンマ授業やマルドウによって、子どもが本気になる、面白い授業が開発されてきた。しかし、今、それらに並ぶ3つめのアプローチとして「価値の明確化」の授業が注目をあびている。先に挙げた授業が価値の内面化を図るのに対してこの方式の授業では、
@「自分づくり」の力
A「自分で問題を発見し解決する」力
この2つの力が養われるという。(諸富 1997)つまり、「価値の明確化」方式の授業では、授業中に価値のシート(子どもの思考活動を刺激する一連の質問がかかれたプリント)に、まず自分の考えを書き、そして、グループで「聴きあい活動」をしてお互いの意見を聞き、全体でどんな意見が出されたのかを発表し、もう一度一人で価値のシートに自分の考えを書き、そして最後に、今日の授業で気づいたこと、感じたことを記入させ、さらに何人かに発表させていくというプロセスの中で、今までの道徳授業の課題であった道徳的な実践力が養われるというのだ。
松下・安田(2000)は、「価値の明確化」方式の道徳授業の可能性を参加観察法と授業分析の2点からその有用性を述べている。しかし、今までに道徳授業を行ない、実際にどのように子どもや生徒達が変容したのか、客観的な材料をもとに分析した研究はされていない。
私は、「自分」がじっくり吟味できる問いや時間を設けた「価値の明確化」の授業を実践していくことで、今ある価値観が変容し、道徳的な心情や判断はもちろん、道徳教育の最も重要な到達目標である、道徳的な実践力を子ども達に身につけさせることができるのではないかと考えた。そこで今回私は「価値の明確化」方式の授業研究をすることとした。しかし、道徳的な実践力が身についているかどうかということを調べることは不可能に近いため、すくなくとも道徳的実践力を養うことにつながる、意識変革が起こるかどうかを調べることとする。
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仮説 「価値の明確化」方式の道徳授業は生徒に道徳的な実践力を養うことにつながる意識変革を起こす |
第3章 調査研究
第1節 研究の目的
本研究の目的は、「価値の明確化」方式の道徳授業の事前事後に調査を実施し、その変化を明らかにしてこの道徳授業の効果を考察しようとするものである。
第2節 方法
1)
調査方法の設定
道徳授業の効果を測定するために道徳性診断検査(自作)を行った。
2)
対象
千葉県内T中学校第2学年A学級28名(うち2名欠席)
(男子13名 女子13名)
3)
時期
平成14年10月(事前テストは事後テストの一週間前に行った。)
4)
道徳性診断検査について
道徳性診断検査は生徒の道徳性を診断するための方法であり、道徳の学習指導要領に書かれている4つの領域(主として自分自身に関すること、主として他の人との関わりに関すること、主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること、主として集団や社会とのかかわりに関すること)のうち、「主として他の人との関わりに関すること」、「主として集団や社会とのかかわりに関すること」の2つに関して質問を作成した。質問項目を作成する際には、道徳的な判断力を測定するというよりも、ある問題に対して解決しようとする実行力を測定するという点から作成し、問題に対する意識変革を調べることを試みた。全項目とその得点を次ページに示す。
問題1.太郎君があなたの大切な本を返すのを忘れました。あなたはどうしますか?
これから、太郎君と遊ばないようにします。…1点
ほかの友達に「太郎君はずるい人だ」といいふらします。…0点
太郎君に「早く返してください」といいます。…3点
これからは太郎君に他の本を貸さないことにします。…2点
問題2.太郎君とあなたがささいな事で喧嘩になりました。あなたはどうしますか?
太郎君を殴ります。…1点
太郎君と話し合って分かり合います。…3点
友人に太郎君の悪口を言い、無視します。…2点
友人と手を組み、太郎君をいじめます。…0点
問題3.あなたはいじめの現場を目撃しました。どうしますか?
見て見ぬふりをします。…1点
いじめに加わります。…0点
先生にいじめを知らせます。…2点
いじめている人にやめるように言います。…3点
問題4.あなたは電車に乗り席に座っています。そこにお年寄りが乗ってきて、あなたの前に立ちました。あなたはどうしますか?
気にせず座りつづけます。…0点
席をお年寄りに譲ります。…3点
座れるスペースをつくります。…2点
そわそわしますが、席は譲りません。…1点
問題5.朝、登校途中に近所の人に会いました。あなたはどうしますか?
あいさつをします。…2点
無視します。…0点
軽い会釈をします。…1点
会話をします。 …3点
問題6.同性の友人と異性の友人から別々に映画を見に行こうと誘われました。映画は同じものです。あなたはどうしますか?
同性の友人と一緒に行く。…0点
異性の友人と一緒に行く。…0点
時間帯をずらして同性の友人とも異性の友人とも一緒に行く。…2点
3人で一緒に行く。…3点
問題7.太郎君があなたの大切にしていたCDを壊してしまいました。あなたはどうしますか?
今後、太郎君とは関わらない。…1点
弁償してもらい、太郎君を許す。…2点
無条件に太郎君を許す。…3点
太郎君をいじめる。…0点
問題8.友人がタバコを吸っていました。あなたも吸うように勧められています。どうしますか?
タバコを吸う。…0点
タバコを吸ってはいけないと友人に言う。…3点
友人と絶交する。…1点
タバコは吸わないが、友人との仲は続けていく。…2点
問題9.クラスに飾ってあった花が枯れそうです。あなたはどうしますか?
花に水をやる。…3点
誰かが水をあげると思うので気にしない。…0点
花に水をあげている人に報告する。…1点
花を捨てる。…2点
問題10.あなたの住んでいる地域では、日曜日に清掃活動をするそうです。あなたはどうしますか?
地域の活動に参加する。…1点
地域の活動には参加しない。…0点
問題11.あなたの部活で部長が練習メニュー(課題)を増やしました。あなたはどうしますか?
練習メニューには従わない。…0点
部長と納得のいくまで話し合ってメニューを決める。…2点
練習メニューに従う。…1点
問題12.クラスに転校生がやってきました。あなたはどうしますか?
別に気にしない。…1点
積極的に友達になろうとする。…2点
いじめる。…0点
問題13.クラスのゴミ箱がゴミでいっぱいでした。あなたはどうしますか?
自分は関係ないので気にしない。…0点
教室掃除の人に伝える。…1点
ゴミ袋をとりかえる。…2点
問題14.四人の少女が女性がタバコを吸うことについて討論していました。あなたはどの意見に賛成ですか?
花子さんは「男女同権だから男が吸ってよいなら女も吸ってよい」と言いました。
…2点
道子さんは「おおぜいの人がタバコを吸うからといって吸うことがよいとはいえない」と言いました。
…3点
信子さんは「男の人がタバコを吸っても、女の人は吸わない方がよい」と言いました。
…1点
ゆり子さんは「外国の女の人は吸う。だから日本の女でも吸いたい時は吸ってもよい」と言いました。
…0点
問題15.日曜日に花子さんは友達と買い物に行く予定です。しかし、お母さんが用事があって出かけるので、お姉さんが花子さんに家に残って手伝ってちょうだいと言いました。あなたが花子さんだったらどうしますか?
姉さんや妹に「私がいなくても何とかやれるわよね」と言いました。
…2点
どうしても買い物に行く、と言いました。
…1点
すすんで家に残って手伝う、と言いました。
…3点
お姉さんに「私の楽しみを奪わないで」と、文句を言いました。
…0点
5)
道徳授業について
@ 生徒の実態から
男女ともに一部思慮深い生徒はいるが、全体としては物事を深く考え行動していこうという生徒は少ない。また、「自分は自分、人は人」という意識もみられるため、学級という集団としてお互いに励ましあい、注意しあう意識は低い。こういった集団としての意識が低いということは、友達同士の問題に対して無関心であったり、不正義な事に対しても面倒くさいと思って見て見ぬふりをしてしまうのではないかと思う。見て見ぬふりをするということの理由の1つには人間関係のスキルの低さがあるのではないかと思われる。
A 資料の選定
上記のような生徒の実態を考慮したうえで、友達同士の関係を今よりもさらに濃厚にできるように、疑似体験のできるロールプレイングを用いた、「価値の明確化」方式のB型の授業を立案した。資料としては、日常生活で起こりうる場面(@友達が無視しない?と言ってきたらA友達が約束の時間に遅れたら)を作成した。この2つの場面はどれも生徒達が現実に遭遇しうる場面であり、また、解決のしにくい場面でもある。
本学級の生徒は、問題が起きた時に自分には関係ないといった行動をとることがあるが、これら2つの不正義な場面は無視してはならない問題である。この2つの状況に関して個人やグループで対応策を考えたり、ロールプレイをしていくことで、自己理解、他者理解を深めるとともに、現実に対応していくためのスキルを習得させ、不正義な事象に対する道徳的な実践力を養わせたいと考えた。
B 指導の手順・留意点
○ 場面設定……… 2つの場面を順次行う方法とグループで選択する方法がある。
○ 役割を決める…… 場面によっては登場人物が少ない場合があるので、多少のアレンジを加えることを認める。
○ ロールプレイをする…グループごとに解決したい場面を選ん
で行なう。
○
検討する………… 対応策が現実的かどうかみんなで検討
する。
○ シェアリング… ロールプレイをしたり、見たりして気づいた自分自身や友達、問題に対する気づきを話し合う。
6)手続き
@ 事前テストの実施
道徳の授業を実施する事前の状態を明らかにするため、また授業後の変化を捉えるために、道徳性診断検査を実施した。事前テストと事後テストを比較するために生徒にbP、bQ・・・というように番号をつけた。
A 道徳の授業の実施
T中学校A学級に対して道徳の授業を1回行った。時間は45分、場所は教室を使用、授業者は筆者が行った。
B 事後テストの実施
道徳授業を実施した事後の状態を明らかにするため、また、授業実施前との変化を捉えるために事前テストと同様のテストを実施した。事前テスト同様、生徒にbつけた。